先月、88歳を迎えた祖母に孫3姉妹から贈るお祝いを届けるため、静岡へ帰省しました。
贈り物は…祖母の似顔絵ですっ!!
プロの似顔絵師さんにお願いして描いていただきました。
写真を参考に描いていただいたのですが、その完成度にビックリ(≧◇≦)
家族みんな「似てる!」と喜んでいたし、これは祖母も喜んでくれるに違いないと渡す瞬間を楽しみに祖母の家まで行ったのですが…。
なぜか反応がいまいち。
あまり笑顔ではないというか…リアクションが薄いんです。
もちろん、孫からの贈り物ということについては嬉しく思ってくれていると思うんです。でも、私が期待していたのはこんな感じではなく(笑)。
「おばあちゃん、お仏壇のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと似顔絵と一緒に写真撮るからここに並んで」と言ったら、
「えぇ~、いやだよぅ(静岡弁)。そんなお相撲さんみたいなの、似てないよぅ。」と、お祖母ちゃんはついに石のように固くなってそこを動かなくなってしまいました。
なるほど、そうだったのか!!と私はようやく気付きました。
似顔絵って顔をわざと大きくしたり、大げさに特徴を描いたりしますよね。それがお祖母ちゃんの乙女心を傷つけてしまったようなのです…私はこんなに太っていないと(^^;)
うぅーん、贈り物って本当に難しいです。他人が最高に良い思って渡しても、本人がどう受け取ってくれるかってわからないですものね。
お祖母ちゃん、勉強になりました!!今度はお祖母ちゃんの乙女心をくすぐるようなものを贈るから待っててね(*^▽^*)
さて、お祖母ちゃんのお家に行ったら毎度恒例の収穫祭♡
祖母の家は昔から田畑があり、祖父は桜海老漁に出ることもあったので、行くと何かしら美味しいものにありつけるのです。
今はもう田畑仕事は手放しているのですがあちこちに柑橘類や琵琶の木が植わっていて、あまりお世話をしてあげられていないにも関わらず、毎年しっかり実を付けくれるのです。
今は夏みかんがたわわに実っていて、大量にミカン狩りしてきましたっ。
それにしても、母の目利きには脱帽です。
私には同じように見える実でも、母は「こっちの方はちょっと違うよ」と言いながら、昔から積み重ねてきた美味しいものを察知する俊敏レーダーを効かせてミカンの木々の間をグルグルと。
そして、いざ食べてみるとやっぱり母が採ったものは美味しいんです。
たぶん母は、美味しい匂いというかオーラというか、そんなものを感じ取っているのではないかと思うんです。
気付いたら今度は地面にかがんで何かを物色している様子。
野草の”ノビル”です。根っこが玉ねぎのように丸くてこの根っこを食べます。味はらっきょうのような感じ。
母はこれを探していました。
ネギのような細い緑色の葉っぱが目印なんですが、雑草の中に生えているので、ノビルなのか他の草なのか判別がすごく難しいんです。
私もチャレンジしてみましたが、見つけられてもすごく小さいノビルばかり。
でも母はすぐに見つけて、ヨモギと一緒に「あんた、ほら」と立派なノビルをくれました。
結構立派なノビル。八百屋さんで売っているのと遜色ない…というか当たり前だけど鮮度が違いますっ!!
両手にヨモギを持ってお祖母ちゃんと記念写真(*^▽^*)
このノビルとヨモギで何を作ったかは今度またご紹介しますね♪
両手に抱えきれないほどのみかんと、野草と、大地の恵をたくさんいただきました。
私たち人間はとっても自己中心的です。人間の都合のいいことや利便性を優先させ、平然と自然や環境を壊してしまいます。けれどもお祖母ちゃんの家のミカンもノビルもヨモギも、損得勘定なしにそこに生え、雨風や寒暖に耐えながら生き、人間を含め生き物たちに惜しみなく命を分け与えてくれます。
まさに地球=マザーアース。これこそが無償の愛だと思いました。
一昔前まではこんなこと気付きもしなかったけど、ヨガの練習をしたり瞑想をするようになって、自分の命が自然の中で生かされていることに感謝できるようになった気がします。
子供のころ、毎日眺めそこにあるのが当たり前だと思っていた富士山。静岡を離れて初めて当たり前ではないと気付き、改めてその美しさに感動した富士山。これまた当たり前だった懐かしい安倍川の橋の上からこっそり撮影。
ありとあらゆる自然に恵まれて、支えられて生きている私、生かされている命。この富士山も、私を育て支え生かしてくれている大切な存在。
お父さんとお母さんがいて、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいて、ひいお祖父ちゃんとひいおばあちゃんがいて、数えきれない程のご先祖様がいて、その誰か一人でも欠けていたら、今のこの私は存在しないという奇跡によってある、この命。
この命に感謝して、この命を一生懸命生きよう。ミカンの木やノビル、ヨモギ、富士山のように。
そして大好きなお祖母ちゃんに、また会いに行こう。
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